それぞれやりたいことをやっている時が、それぞれのWAGAMAMAな時間
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WAGAMAMAに生きる人たちの声をきくOPTのWAGAMAMAインタビュー。第三回は、湊さんにお話しをお聞きした。デフリンピックで金メダルを目指す棒高跳び選手であり、トランス男性でもある湊さん。母親をはじめとする周囲との関係性について「否定されたことがない」「そのことを幸運だと思っている」と語っている。インタビュー中も、常に笑顔。どんなこともポジティブな言葉に変えてくれる湊さんが語る「WAGAMAMAであれ」る関係性とは。
佐藤 湊(さとう そう)
1995年生。中学1年生で陸上競技を始め、高校2年生から棒高跳を始める。
現在はアスリート採用で競技中心の生活をしており、2025年に日本で開催されるデフリンピック(ろう者のオリンピック)でメダル獲得を目指し、日々励んでいる。
2013年 第22回デフリンピック 銀メダル
2017年 第23回デフリンピック 出場
2022年 第24回デフリンピック 5位。
Instagram:sou_pv
自分がどうありたいかを軸に、あり方を決める
(下山田)まずはじめに、湊くんのジェンダーアイデンティティ、性自認とセクシュアリティについて聞いていきたいです。普段、だれかに自身の性のあり方を説明するときは、どのように説明していますか?
(湊)社会の中で過ごしやすいのは男性、生まれたときに割り当てられた性は女性。好きになる対象は特に決まっていなくて、人を好きになる。けど、今まで付き合ってきた人は女性だけ。
(下山田)男性だと自認したのはいつから?
(湊)高校ぐらい。でも、思い返せば、中学の制服や男女で色が分かれていた幼稚園のカバンだったり、小さい頃に違和感を抱いていたなと思い当たる節はあります。
(下山田)思い返せばってことは、当時はあまり違和感がなかった?
(湊)幼稚園のときは、男とか女とかを気にしてなくて。小学校に上がっても、最初は着替えも一緒だから気にならなかったけど、学年が上がると着替えが別になったりしていく。男女別れることが多くなるときに、なんとなくこっちは自分の居場所じゃないなと感じていましたね。
(下山田)高校のときに、初めて男性だと明確に自認したとのことだけれど、何か大きなきっかけみたいなものがあったのでしょうか。
(湊)中学生のころ、はるな愛さんがテレビに出ていたんです。そのとき、LGBTを知識として知っていった。そのあと、母親にも「女に生まれて良かった?」って聞かれたりして、少しずつ「あ、自分もそうかも」って。高校の時は胸を潰したかったのでナベシャツを自分で調べたり、それを親に誕生日プレゼントに欲しいってお願いもしていました。高校2年生のときに初めて付き合ったこともあって、より男性として過ごしたい気持ちが当時は強くなったのかなと。
(下山田)聞いていて、親と話せる関係性が羨ましいと感じたなあ。
(湊)母親には、はっきりとカミングアウトはしなかったけど、ナベシャツを通して遠回しに(笑)でも、成長過程を見ているし、親が自分から「女に生まれてよかった?」と質問してきたので、なんとなく気づいてたんだと思う。
(下山田)なるほどなあ。話を聞いていて、湊くんは、自分が何者なのかを他者との関係性の中で自然と知って築いていったのかなと思いました。幼稚園のとき、男とか女とか気にならなかったって言ってたと思うけど、それは周りにいる大人から性別を認識させられるようなことをあまり言われない環境だったのかなと思ったんです。周りの大人は、湊くんに対して「女の子だから」のような押し付けをしてこなかった?
(湊)言われなかったのか、聞こえてなかったのか、どちらなのか分からないけど(笑) 元々、外で遊ぶことが好きだったこともあって、親は動きやすい格好をさせていたんだと思います。たしかに、親は「女の子らしくしなさい」とは言ってこなかったような気はします。学校の方がうるさかったですね。
自分も、男だとか女だとかは知識としてうっすら認識してるけど、そこに自分や友達をカテゴライズするということはしていなかったなと。人として関わっていた。
(下山田)素敵な考え方。
(湊)大人になるなかで、テレビやドラマで「男女で付き合うのが当たり前」なシーンを見かけて、自分がどうありたいかなんとなく思った時に「生まれた時の性ではないな」という感じで認識したと思います。
今までは「この服を着たい」「この色が好き」「これをやりたい」で選んで決めてきたけど、それが社会から見た時にどういう傾向の人と同じになるかと思ったら男性だと思うし、自分も男性と言っていて気持ち悪さはなくて納得してる。
記憶にないですけど、母親が言うには、弟ができたときに「いつちんちん生えてくるの?」って言ってたらしいですし。自分の意識しているところよりも前のところで、もう自分のあり方が形成されているなって。
(下山田)湊くんの話を聞いていると、軸がずっとぶれていないと感じています。「これをやりたい」とか「この色が好き」とか、自分の中から湧き出てくる感情って、世の中では「女性はこれ」と「男性はこれ」の基準を元に決めている人が多いと思う。自分が何を選びたいの前の段階で、選択肢がそもそも限定的になっているところがあるんじゃないかなと思うんです。
湊くんは、自分が社会に合わせるのではなくて、社会が自分に合わせてるような捉え方をしているのがすごく面白いなと思いました。なぜ、その考え方ができるのだろう。
(湊)多分、良くも悪くも「あなたはこうしなさい」っていうのを言われなかった、あるいは聞いてないからかなと。親は、提案みたいなのはしてきたけど、僕が決めたことに何も文句は言わなかったですね。
(下山田)なるほど。
(湊)「卒業式、スカート履く?何を着る?」って聞かれてたり、小さいときから自分のものは自分で決める傾向が強かった。「この子はスカート履きたがらないだろう」という予想で、念のために聞いてきたんだと思いますが。胸をとる手術を決めたときも「どうぞ、やってきて。ただ費用は出せないからごめんね」って。自分の決めることには干渉しない親ですね。
それぞれ経験していることは違うから、その人にとっての当たり前や常識があって当然
(内山)湊くんにとってWAGAMAMAであることってどういう状態のことを指しますか?
(湊)好きなものやことを選び決められること、自分を信じて、相手も信じられること。
(下山田)かっこいい。その状態でいられる関係性ってどんな関係性だと思いますか?
(湊)あなたはあなたで見てくれる人との関係性。男性・女性、障害がある・ないなど、カテゴライズできることはたくさん世の中にある。でも、そうじゃなくてひとりの「人」として、関われるときがWAGAMAMAであれる関係性だと思う。
(下山田)湊くんからだからこその説得力があるなと感じました。これまでの人生の中で「あなたはあなた」で見てくれる人との出会いには恵まれていたと感じますか?
(湊)僕は幸い、自分の決めたことや自分の在り方に対して強く否定されたことがなくて、そのことに関してはすごい恵まれていると思います。だから、ここまで自由に生きているんだと思います。もし、これが否定されてたり押し付けられてたりしたら、また考えも違ったかもしれないです。自分の考えはあくまで自分の経験からでしか言えない、形成できないもの。だから、僕の考えに対して「そうは思わない、思えない」という考えがあって当然だと思うし、「あなたは恵まれているから」と言われても当然だと思います。みんな一人ひとり経験していることは違うから、その人にとっての当たり前や常識があって当然。僕も「それがあなたの考えなんだね」って受け止められるようにしたいなと思って生きてます。
(下山田)湊くんのそばにいると息がしやすそう。
(内山)唐突な質問かもしれないけれど、自分たちのようにセクシュアルマイノリティ当事者であることや、湊くんのように耳が聞こえないことで悩んでいる人が、隣に現れて悩んでいることを相談してきたとしたら、どんな言葉をかけますか?
(湊)対面だったら、まず、ハグ。 メールがきたら「そっかー」って。
(下山田)温度差が激しい!
(湊)メールでも、その人の言いたいことだったり悩んでいることを聞くことはできるけど、聞くまでにとどめてます。僕が何かこうしたらと伝えることで、その選択だけになってしまうかもしれない。言うとしたら、僕の場合はこうするよと伝えてます。あなたの場合はこうだから、こうした方がいいねとは言わないです。
(下山田)それくらいのラフさで、ジャッジすることなく話を聞いてくれる存在が近くにいることの安心感って簡単に得られるものじゃないなと思うんですよね。カテゴライズされることに悩んでいる人たちは、だれかに自分のあり方をカテゴライズされたりジャッジされないコミニケーションによって肩の荷が降りることもあるかもしれない。
(湊)カテゴライズやラベリングがあることで安心する人がいることも確かなので、僕はそれはそれでいいと思います。
(下山田)自分も、それはそうだと思う。カテゴライズを自分でするか誰かにされるかの話な気がする。
(湊)説明しやすいから、使うぐらいの感じです。
楽しいからやる、その気持ちと真剣に向き合う
(下山田)湊くんは、棒高跳び選手だけれども、湊くんにとって高飛びをしている時やスポーツをしている時間って自分自身にとってどんな影響があると思う?
(湊)楽しいからやる、それだけです。その”楽しい”は競技の成績や記録が上がることもですし、できないことが段々できるようになっていくこと、競技を通して人と関われること、国内・海外選手と関われること、そういったコミュニケーションの部分の楽しさもあります。競技を通して、人と知り合えて、その人と話せること、色んな人に出会えることが自分にとってはプラスです。
(下山田)競技はいつからはじめたんですか?
(湊)高校2年生ですね。小1~3年は体操クラブ、中学入ってから陸上部。100mや走り幅跳び、走り高跳び、砲丸投げ、やり投げをやってました。最終的に棒高跳に落ち着きました。
(下山田)すごいやってますね。笑 なんで棒高跳びに?
(湊)やり投げで世界大会を目指していたけど、レベルが高くていけない。棒高跳は同期が僕より先に始めたんですが、同期の練習の様子を見ていたら楽しそうで。棒高跳ならデフリンピックいけるよ、メダルも狙えるよって顧問に勧められて始めました。以前の大会でメダルは取ったんですけど、金色じゃないから悔しくて。今も現役を続けています。
(下山田)先ほど教えてくれたいろんな”楽しい”って、競技を続けるなかで気がついていった?
(湊)そうですね、競技をしていく中で気がつきました。最初は、純粋に跳ぶのが楽しくて。デフリンピックに行って海外経験を何回かするなかで、”楽しい”の種類が増えたなと思います。
(下山田)楽しいの種類がふえる、いい言葉だなあ。
(湊)僕はたまたま競技が楽しかったから、結果としてアスリートになった。でも、規模は関係なく、それぞれやりたいことをやっている時が、それぞれのWAGAMAMAな時間だと思ってます。
取材を受けると「だれのために」と聞かれたり、ロールモデルとよく言われます。誰かのためにやっているわけじゃなくて、僕がやりたいからやっているだけ。僕を見た人が勝手に勇気づけられたり、励みになっているだけだと思っています。そして、そう思ってくれていたら光栄だなと。
・・・
(あとがき)
”楽しいからやる。それだけです。”湊さんのその言葉に全てが詰まっていると感じました。自分の中の”楽しい”という気持ちや感覚と素直に真剣に向き合っているうちに、その種類が増えていったり、新しい世界に出会ってゆく。その中で、どう在りたいかやどんな状態が心地よいのかが自然とわかってくる。
日々生活していると、役割やルールなど、外から与えられるものに自分を当てはめざるをえない瞬間にも出会いますが、どんな些細なことでも自分が感じた感情や感覚は、自分に対してのメッセージだと思いますし、そのメッセージに対して素直になってみることで、自分にとって居心地のよい状態や世界が広がっていくのではないか、と感じました。
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Interviewer:Shiho Shimoyamada , Hoanami Uchiyama
Editor: Kanami Oka
Photographer:Kanae Fukumura
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