悲しんだり悔しんできたエネルギーを、自分やだれかのハッピーのために使う|Makoto

悲しんだり悔しんできたエネルギーを、自分やだれかのハッピーのために使う|Makoto

WAGAMAMAに生きる人たちの声をきくOPTのWAGAMAMAインタビュー。

学生時代はモノクローム時代。自身のジェンダーアイデンティティの捉え方と、セクシュアリティの捉え方にはギャップがあったと語るMakotoさん。

現在、自身の性のあり方と向き合う過程を経て、自身が過去に抱えてきたネガティブな感情を”自分やだれかのために”未来へのパワーに変えて生きるMakotoさんが、性のあり方に悩む人たちに届けたいメッセージとは。

Makoto
1995年生まれ。札幌や高尾などを行き来しながら、自然と戯れ幼少期を過ごす。大学時代は環境経済学を専攻し谷川岳の入山料を算出するなど、山好きな側面も。大学卒業後は、製薬会社でスポーツとマーケティングの仕事に携わる傍ら、プライベートでは野山を駆け回るトレイルランニングに打ち込む。OPTの、だれもが「WAGAMAMAであれ」る世界をつくりたい、という想いに強く共感し、OPTラバーとしてトレイルランニングのレースや練習時には必ずOPTを着用し、10時間以上の山行に繰り出している。
Instagram: mkt_400

 

信頼関係が根底にあれば、どう思ってもらってもいい

(下山田)Makotoさんの中で、ジェンダーアイデンティティと、セクシュアリティをどう捉えているかから話してみたいです。

(Makoto)クィアなのかな、ノンバイナリーにも近いかもしれない。人によって、女性的だねと言われたり、男の人に間違えられたりもするけれど、なんて言われても自分の中身やあり方が変わったりすることはない。だから、あなたが思ったままに接してくれたらそれでいい、それが嬉しい、と思っています。


(内山)それって昔から?

(Makoto)そうですね。自分の中に女性であるという認識はあるんです。その状態で「男の子っぽくていいよね」と言われると嬉しい時もある。「女性的な部分がいいと思っていますよ」と言われた時も嫌じゃない。どちらでもないように接してもらうのも、気持ちが良い。

友達でも恋人でも家族でも、ホンダ マコトっていうひとりの人間のあり方に対して愛情を感じてきたから、私を中性的か男性的か女性的かと捉えるのは、その人たちの自由だと思っているので。今は、好意や信頼関係が根底にあれば、どう思ってもらってもいいかなと。


(下山田)めちゃくちゃ素敵な考え方だな。社会的には性別でカテゴライズされることが多いし、男性か女性かによって、こういうものを身につけなさい・こういう振る舞いをしなさいみたいなものがある。それでも、Makotoさんは自分のあり方が流動的であることをそのままに捉えられているんだなと感じます。その考え方に至った過程を知りたいな。

物心ついた時から、社会的な男らしさ女らしさに対してはすごく懐疑的で。

自分、身体能力が高い子どもだったんです。子供の頃は男女の体力差もそんなにないから、スポーツをすると頂点にいるのが自分だったりするんですよね。そうなると、先生は私の性別がどちらなのか分からなくなってるんです。動きや身体能力だけを見ると男の子なのに、列で分ける時は女の子の列にいる。それでいて名前も”マコト”なので「え、マコトくんどうしたのかな?」「女の子になりたいのかな?」って言われたり。「いやいや、私女なんだけど。」みたいなことをそのたびに説明して回ってましたね。そういったことが日常茶飯事で、よく私の代わりに友達が説明してくれたりもしていました。その経験もあって、男だから女だからとカテゴライズされることには違和感があるし意味がないことだと感じていて、だからこそ男女で判断されたくない気持ちがありました。そのスタンスで生きていく中で、“ホンダ マコト”を好きでいてくれる人たちが現れてきた時に「その時々で納得している自分のあり方でいいや」って思うようになりました。

 (下山田)性別のカテゴライズがあることに対して、社会構造や風潮、制度に対しておかしいなという視点を幼稚園の頃から持っていたのか…。


(Makoto)はい、自分なりのスタンスは曲げなかったですね。 「普通ってこう」という社会的な通念から外れる怖さみたいなものは幼いながらにありましたけれど、それよりも好奇心や挑戦心が勝って、性別に関係なく私だっていろんなことをやってみたい!チャレンジしてみたい!と思っていました。女子が男子がとか言うけど、男女関係なく人よりちょっと上手にボールを蹴ったり、速く走れる自信があったから、私にやらせろ!くらいに思っていましたね。通常、「男子のもの」とされているようなボール遊びやウルトラマンごっこも大好きだったし。「普通、女の子って○○だよね」みたいなものに当てはめられることや着飾ったりすることにも物凄く抵抗があって。男女で出来る遊びが分けられていたり、男女のくくりで分けられて評価されることは、もし男の子に生まれていたとしても疑問だったと思う。

 

悔しがったり悲しむにしても、大きなエネルギーを使うのなら 

(Makoto)私は性的指向をレズビアンだと自認しているのですが、それに関しては自分自身をすごく責めていましたね。恋愛対象に関しては誰にも言えなかった時期が長く、言っちゃいけないことだと思ってた。性自認に対する考え方と、性的指向に対する考え方には自分の中で差がありました。

(下山田)そもそも、女性が好きという事実を自覚したのはいつだった?

(Makoto)なんとなくの気づきは小学1年生の時。男の子が、好きな女の子をからかうみたいなことを、私もやりたかったんです。異性愛として描かれたアニメのキャラクターで共感するのはどちらかというと、女の子に恋してる男の子だったし。だけどそのことは、なんとなく、自分の心のうちに留めておいた方が良い気がしていました。

明確に「私って人と違うかも?」という気持ちが出てきたのは、小学校高学年の時に受けた保健の授業がきっかけだった気がします。そこで「思春期になると異性に興味を持つようになる」と教わって、なんだかハンマーで頭を殴られたくらいのショックを受けました。私、全然異性に興味持たない、というか、むしろその逆...。私は変なんじゃないか?と、目を背けてきていた現実を突きつけられた気がしました。人を好きにならないタイプの人なのかな、とか、まだ恋愛感情というものが分からないだけかなとも思いましたが、そうでもない。テストでも「(  )に興味を持つ」という空欄に「異性」を埋める問題を回答した記憶があるんですけど、なんだか凄く抵抗がありました。「これは人には言えないな」と明確に思いました。小学校でも、いわゆる「おかまいじり」的なものもあったりして。自分が差別の対象になるかもしれないと思うと、とてもじゃないけれど怖くて言えなかった。

そんなこんなで、家族や友人含めて十数年間周りの人に対して「私は女性が好きだ」と表明してないから、受け入れてくれる人もずっといなかった。性的指向に関しての支えのなさは、すごく心細かったですね。

(下山田)性自認や性表現に関しては自分が肯定されていると感じることができて、性的指向に関しては肯定されているというバロメーターがすごく低い。それを言語化できていてすごいなと思いました。

(Makoto)性自認に関しては、好奇心や挑戦心みたいな本能の部分で突き動いていたところもあるから、最早気にも留めていなかったですね。男の子たちと一緒にボールを蹴りたい。走りたい。それぞれの場所でより上にいきたい。その欲求や願いを叶える事が、カテゴライズやラベリングのせいで窮屈な思いをしている自分をどこかに連れてってくれると信じていたから、クィアな自分の表現や発信ができていた。それを、いいね!と言ってくれる人も常にいた。今は出会えていないだけで、頑張った先できっと心の底から共感しあえる仲間にもいつかきっと出会えると信じて生きていたし。自信満々に私はこういうスタイルだからって出していくと、周りの人も男でも女でもない風に扱ってくれるんですよね。自分がどう接して欲しいかを表明すると、返ってくることの心地よさを幼少期から試行錯誤して得て来ていた。

同じことを性的指向においても持ち込めたのは、高校生から。

初めてのカミングアウトは高校生の時。仲が良い女の友達が「Makotoの好きな人は誰?」と聞いてきて。当時、私は女の先輩のことが好きだったけれど、誰にも言えないでいた。その時も案の定言葉に詰まると、しびれを切らした友達が「言えないってことは、私が好きな彼のことが好きなの?なんとか言いなさいよ!」って。壮絶な恋愛バトルが始まるテンションなわけ。自分にとってそれはもう息が詰まるような修羅場でした。言いたいけど、十数年間隠してきたことを今ここでいうのは怖い。けれど、このままだと友情が壊れてしまう...!!ということで、やっと「違う!女の子だけど、あの先輩のことが好きなんだよね!」とはっきり人に言えた。そしたら友達の反応は凄くあっさりしていて。「なんだ、そんな大切なこともっと早く言ってよ。」「〇〇くんが好きかと思ってびっくりしたよ」って。強制的な引き出しがあって、そこで意外とすんなり受け入れられた成功体験を得たんですよね。自分からは言えなかったと思います。

(下山田)それが性的指向に関して誰かに話す初めての成功体験だったのか。その後、自分のジェンダーアイデンティティやセクシュアリティについて誰かに話したりする機会はありましたか。

それ以降は、友人とかには比較的オープンに話していました。けれど、自分のアイデンティティについて押し黙ってしまう場面も多かった。社会人になってからの話なんですけど、私のジェンダーアイデンティティやセクシュアリティを知らずに、人の尊厳を踏みにじるような差別的な発言を繰り返す人がいたんですね。生物学的には男性だけど女性的な表現をする知人がいて、その人のことをいじるっていう。それを聞いて久しぶりに「自分の正体がバレたら、まずい。」と物凄く怖くなったんです。いじりの内容は受け入れ難かったんですけど、かといって何も言えずに、家に持ち帰って当時一緒に住んでた同居人に泣きながら「怖い、悔しい。」って言っていた。そんな自分が、もどかしくて。自分を隠して陰でこそこそ悔しがったり悲しむにしても、どちらにしろ大きなエネルギーは使うんですよね。

だったら、たとえ傷ついたとしても、相手がどんな反応でも、自分の気持ちを表明しようと思って段々と言うようになりました。それをきっかけに悪口を言ってた人も言わなくなるかもしれないし、逆に気づきがあったり、自分にとって心地のいい表現で接してくれる人が増えるかなって思ったから。

でもそれは、似たような環境の中で戦ってきた仲間を得られたから。ラグビー選手の村上愛梨さんや、OPTの下山田さん、内山さんたちに出会えたことは本当に自分の人生の中で大きな出来事だった。あとは、大好きな山だったり、走る事だったり、どんなに傷ついても、ときめくことができる場所や、受け入れてくれる人がいるって思えるようになったことが、表明につながったなと思います。

 

自分と似たような子どもが同じ思いをしないための種まきをしたい

 

(下山田)表明って言葉がすごく面白いなと。最近、自分のセクシュアリティを自分の言葉で周囲に伝えられるようになった友人が「これまでは自分のセクシュアリティを話すときに釈明している気持ちだった」「こんな自分のことを、理解してくれてありがとうの気持ちだった」と話していて。誰かに自分のことを伝える時の言葉だとしても、表明と釈明では言葉の意味合いが変わってくるなって思ったんだよね。その上で、表明という言葉を、幼い時から持てる状態はすごく羨ましいなと思った。

(Makoto)とても負けず嫌いだから、自分が同性を好きになるということを伝えるだけでパワーバランスが相手と対等じゃなくなっちゃうのは許せなかったし、許しをこうことでもないと思った。

あとは、今の小学生や中学生の子みたいな次の世代の子たちが、私のような年上の人が「申し訳ないんだけど、私はこういうセクシュアリティなんだよね」って言っていたらどう思うんだろうって思うわけですよ。それこそ、セクシュアルマイノリティであることが”本当に悪いこと”みたいに思えて、かつての私がそうだったように自分を認められなくなっちゃう。だから、あくまでも「私の当たり前はずっとこうだったんだけど」「あなたたちが異性を好きになるっていうこと、教科書に書かれていることが当たり前だと思うように、私にとっての当たり前はこれだから。知っといてくれる?」っていうような伝え方にしていました。そうじゃないと、自分が嫌だと感じていたいじりとかも終わらないよなって。

(内山)めちゃくちゃかっこいいよね。表明の言葉2文字だけを取ってしまうと、自分に何が返ってくるかを考えて表明するって捉え方もできると思うんだけど、Makotoさんは表明することの先に、他者がどう思うかやどうなっていくかまで常に考えて行動している。それがMakotoさんの深みだなって。

(Makoto)けれど、そう考えられるようになったのは3年前くらいに、縁あってとある都内の高校でLGBTQ+当事者としてお話をさせてもらった時の気づきが大きかったです。

今の子たちは、自分が高校生の時と違って今はSNSでも簡単に情報が取れるし、10年経てば10代の多様性への理解も進んでいるかなって、興味もあって依頼を受けたんです。もちろん、みんな前向きに聞いてくれたんですけど、授業後に集めたノートのコメントをみたら、8割型は「クラスにも身の回りにも当事者がいない」と思っていて、1.5割程は「友人や知人に当事者がいる」。あとの5%は当事者で家族や教室でのことを切実に悩んでいたんですよね。その子の悩みは10年前の自分の悩みとほぼ同じだった。期待していたけど、期待だけして世の中が変わることを待つことは、フィヨルドの形成を待ち望むくらい途方のないことなんだなと気づかされて。それで、自分のためにも次の子たちのためにも、出来る事はしようと思った。

(下山田)なるほど、そんな体験があったのか。

だから、よく「女性は、男性と結婚して子供をもつことが当たり前だ」って思っている人とか、世代が全然違う人たちとかにも必要があれば話したりもしていて。そうすると、「自分の子どももまだ小さいけど、もしそうだったら子どもに話してもらえるような親でありたい」と言ってくれる人たちもいて。ありがたかった。時に、嫌悪感をダイレクトに示されたこととかもあったけど、でも、あえてそういう価値観の人にも隠さずに自分のセクシュアリティを話すようにしていて。考えすぎかもしれないけれど、もしかしたらその人のお子さんがゲイやレズビアンかもしれないわけだし。でも「本田がそんなこと言ってたな。しかも、結構楽しそうに生きてるよね。」って知ってくれていたら、お子さんへの接し方も変わるはず。

同性婚など、自分の人生に直接関わることも解決していきたい気持ちもあるけれど、法律に関してはすごく長い時間がかかると思う。だからまずは、自分に似たような子どもが同じ思いをしないために種まきをしたい。そうしないと、自分がこれまで経験してきたネガティブだったり悲しかった気持ちが報われないって思いますしね。


(下山田)事実として「私、こんなに幸せに生きてるんです」って姿を見せる方法を選べることが素敵だなって。自分の幸せな姿を見せることが、結果として、誰かの幸せになるという思考は、どういった経験から培われてきたのかが気になる。

(Makoto)同性婚のことだったり、私が楽しそうに過ごしたって今すぐには叶わないことってあるわけですよね。 偏った見方をする人もまだまだいるし。それで、学生のとき、カミングアウトしたらかなりショッキングな言葉をもらって悩んだ時期があって。その時相談した人が、バイト先のお姉さんで子どもがいる人だったんですよね。話を聞いてもらう中で、彼女にもカミングアウトをしたんですけど、そしたら彼女が「私は子どもいるから、親目線で色んな物事みるところがあるんだけど。その目線でいうと同性を好きになること自体は何も問題ない。我が子であることにも変わりない。けれど親としては、この子が生きる社会が人生が、つらいものになるんじゃないかと思ってしまうんだよね。子どもが幸せになれるかどうかが一番心配だ。」って言ったんです。

その時に、親御さんの目線を聞いて、そうだなって思ったんですよ。自分が子どもを産んだとしても、今のこの世の中は全然お勧めできない。だから、セクシュアリティとか宗教とか国とか他にもいろいろな人が持つアイデンティティや背景を表明したとしても、苗字を名乗るくらいフラットな社会に変えていきたいなって強く思ったし、そんな世の中でも生きる楽しみがあることを見せたいと思いました。


(下山田)なんでそんなに誰かのためになれるんだろうって、いつも思っていて。そのヒントとなる話が、ここまでにたくさんあったなと思っています。改めて、なんでそんなに誰かのためになれるの、と聞かれたらなんて答える?

(Makoto)子どものころから、大切な人や友人の死に立ち会うことが多かったから。そこで色々思ってきたのと。あとは、やっぱりずっと言えなくて自分が苦しかったから。生きづらかったのは、自己開示ができないとか口下手とか、性格にも理由があったと思うんです。でも、その性格だった理由を振り返った時、やっぱりセクシュアリティに関する部分で世界との距離を感じていたから、小学生から高校生くらいまでは殻に閉じこもっていたと思う。

学生時代をモノクローム時代って呼んでるくらい楽しめなかった。みんなと違うことへの焦りに費やした時間が勿体なかったとも思う。これまでは人と距離感がある生き方をしてきて、ここ最近、やっとその距離感を辞められたのはどんなことがあっても受け容れて待っていてくれる仲間というバックアップができたからだけど、そこに至るまでが長かった。

(Makoto)後悔はしていないけれど、20数年間、もし、もっとカラフルな世界で生きられていたらと思うことがある。次の世代の人たちには同じことを感じてほしくないから。自分自身もこれからをもっとカラフルにしていけたらと思うし、大丈夫だよって言ってあげられるような人でいたい。まあ、つまりは私の悲しみの成仏のためですね。どちらかというと楽しいことが好きだから、悲しみを悲しみのままで終わらせたくないし。誰かのハッピーに繋がることをしたい、そのために今まで悲しんだり悔しがったりしていた分のエネルギーを自分や人のハッピーのために使うってことです。

(内山)確かに、それが自分のエゴだとしても、自分も子どもの頃にMakotoさんみたいな人がいたら嬉しかっただろうな。居心地よかっただろうな、何でも肯定してくれる人って。

(Makoto)みんなと違う部分って、誰しもが持っていると思うんですよね。セクシュアリティやジェンダー、国や宗教、経済状況や身体のことでも、人と違うことで差別されたり、悩む人もいると思う。

けれど、自分のあり方やバックグラウンドを大切にしてほしいし、もし、その人自身が大切にできないバックグラウンドがあったとしても、私はその人のことを大事にしたい。子どもは、自分のあり方やバックグラウンドについて、ひとりでも「それいいね」って言ってくれる人がいないとやっぱり不安だと思うんです。

ひとりでも肯定してくれる人がいるだけで、その人は生きることを頑張れるんじゃないかなって思うから。そのいいね、を言う人でありたいですね。それって大事なことだと思うので、皆さんも意識してみてください。

(2人)急に(笑)

 

「迷うことを繰り返しながら、ときめきに素直になる」

 

(下山田)OPTは「WAGAMAMAであれ」というメッセージを掲げているけれど、Makotoさんはそのメッセージに心から共感して楽しんでくれている感覚があって。それも踏まえて、MakotoさんにとってのWAGAMAMAな状態って、どんな状態なのかを聞いてみたかったんですよね。

(Makoto)私は、これまでの人生、わがままであるために気を遣ってきたんです。わがままでありたいなら、コミュニティの中で戦力になっていないとダメだって自分に課していた。人として組織の中で重宝されるようになってから、万を事してわがままな一面を出すんですね。そういう教育なんですかね、日本が。でも、そんな風に感じていたわがままを「であれ」って強く言ってくれることが嬉しくて。「わがまま」もだけれど、「であれ」に共感していたと思う。私もわがままであっていいよねって。

(内山) そうだったのか。自分は「であれ」を使うことで状態を押し付けちゃうのではと怖さを覚えたことがあったんだよね。わがままって言葉はすごくしっくりきていたけれど。

(Makoto)「であれ」ってみんなに言っているのかもしれないけど、自分自身を鼓舞するために言ってる言葉とも捉えられるじゃないですか。

私、出身の北海道への愛が強いんです。それで、北海道の開拓に大きく寄与したクラーク博士という人が言った「少年よ大使を抱け」っていう言葉がすごく好きで。志は自発的に抱くものかもしれないけど、「抱け」っていう表現が好きだったんです。北海道はすごく寒くて来たくもないのに、脱藩させられた武士や、困窮した藩の武士、罪人とかが開拓民として集められたわけです。北の大地の厳しい環境の中で、あたたかで食に恵まれた暮らしの実現を夢見て生きていくしか道がなかった。だから「抱こう」ではなくて「抱け」と自分に言い聞かせて、子孫にも言い聞かせていかないとやっていけなかったんじゃないかと思います。「少年よ大志を抱け」の言葉で、厳しい時代を乗り越えてきたんですよね。

だから、私は「WAGAMAMAであれ」の言葉が、自分の中でストンと落ちましたね。


(下山田)面白い。たしかにね、自分たちもファウンダーでありながら、自分に言い聞かせてる部分あるだろうな。わがままの言葉をMakotoさんが自分に当てはめた時、どんな自分をイメージしますか?

(Makoto)ときめきに対して正直に行動できる状態。そのときめきは恋愛のときめきも当てはまるかもしれないけど、もっと人として根源的に喜ぶこと。

自分の場合、ときめきは衝動に近いですね。

「これやりたい」「これが素敵だ」「こういうふうにやりたい」「この人たちと一緒に話していると楽しい」とか、そんなときめきがある。大切なときめきを殺さないことが、わがままである状態かなって思います。サッカーを誰かから奪ってはいけないように、本を誰かから奪っちゃいけないように、ときめきを感じさせてあげられるアイテムは人から奪っちゃいけないもの。この人にスカートを履かせたら心が死んじゃう、とかもありますよね。社会に迎合せずに、自分が感じたときめきに対して素直であることがわがままである状態かなって私は思います。

(下山田)たしかに。今のお話を聞いていて、自分も年を重ねるごとに自分が何にときめくかに気が付いて、ひとつひとつ積み重ねているなと。

(Makoto)ときめきを「それいいね」と共有し合える人たちと一緒にいる時間はすごくときめくし、自分が生きていくために必要な時間だなと。だから、ときめきの時間、OPTの言葉に変えればわがままであれる時間を増やしたいですね。

 

 (下山田)世の中には、自分のときめきを殺したり一旦沈めたりしている子供たちがいたり、そもそも自分にときめけるものがあるのか疑問に思ったり。ときめきを誰かとシェアするときめきを感じられる人って多くないのではと思ったりします。もし、ときめきに素直になれない人が目の前に現れたとしたら、Makotoさんはどんな言葉をかけますか。


(Makoto)そもそも、自分もこれがときめきだと気づけるようになったのは、ときめかない、心が死ぬ状態を経験したから。心のHPも身体のHPもゼロ、いやマイナスになってから、戻していくのにとても時間がかかった。自信も何もかも失った時に、それでも上がっていこう!と思えたのは、ときめく物事に取り組めば、日々に希望が生まれて必ず私は復活できるという確信だけは残っていたから。生きるための本能が働いたんですかね。そこから、自分にときめきをもたらしてくれる自然を歩くこととか山登り、読書とかを徐々に再開していったら、段々と心も身体も回復していった。その経験があって「これがときめきだ!」と名付けることができた。スポーツに没頭したり読書で得られたワクワク感は、楽しいとは思っていても、生きる上ですごく大切なときめきだとは自覚できていなかった。

だから、もし目の前にときめきが分からない人が現れたとしたら「あなたが本当に見過ごしてるものってないのかな?」とまず聞きたいかもしれないですね。嫌なことを我慢してやる癖って、多くの人が癖づいているのではと思う。だから、組織の中で、その我慢が自分の心を削っていないかを自問自答してほしい。ときめきが分からないなら「自分の心のHPを削っているものはないですか?」「本当に大丈夫だと思ってやっていますか?」と聞きたい。そして「もっと楽しくなっていいし、もっとときめいていいんですよ」と言いたい。

(内山)めっちゃいいね!

(下山田)段階があるように感じた。Makotoさんは、自分のときめきに気がつくまで、今話してくれた順序をたどってきたんだろうなって。ときめきなよって言われても、そこに辿り着けない、心の状態を持っていけない人もたくさんいるだろうなと思った時に、じゃあ、どうしたらいいのかを探し求める人がいると思う。今、Makotoさんが話してくれた順序は、ときめきが分からない人たちのロールモデルになるのだろうな。そして、それはMakotoさんが、実際にその順序を経験してきたからこそ説得力のある話なんだろうなって。

(Makoto)確かに、そうですね。私もやりたいことが本当に分からない時期があって辛かったんですよね。意外と、ときめくものってそんなになくて、自分がつまらない人間だって否定しちゃうこともありました。やりたいことや夢もなくて、どうしたいのかも分からないから、とにかくいろんなところに足を運んでみたりもしたけど、「違う気がする」「これでいいのかな」と迷うことを繰り返していたタイプだから。

(Makoto)今は、どんなに小さなことにもときめけるんですよね。「木漏れ日が綺麗だよね」とか。「あれ、結構ときめきません?」って気持ちを共有できたりすることも嬉しいし「世の中がこうなったら嬉しいよね」と話すだけでも楽しいからときめける。

やりたいことがわからない、とかで悩むことなく突き進んでこれた人たちのことを私は尊敬していながらも、自分が分からなくて辛かった時期を立ち返ってみれば、ときめきが分からなくて悩むことも悪くないなって思っています。

先ほども言ったように、「この世の中、全然お勧めできない」と思う一方で「この世の中はときめきで溢れていて、素晴らしい」と思う気持ちもある。私にとって、スポーツを通じて人と出会うことだったり自然に触れる時間は、次世代の子たちにもお勧めしたい。お勧めできる世の中にしていくことと、お勧めできる部分を伝え繋ぐことが今の私の夢です。そのためにも、WAGAMAMAでいられる仲間やときめきを大切に生きていきたいと思っていますね。

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Interviewer:Shiho Shimoyamada , Hoanami Uchiyama

Editor:Shiho Shimoyamada , Ruruka Kimura , Kanami Oka

Photographer:Kanae Fukumura

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OPTは、スポーツがもつパワーと、スポーツを通して得られる誇りとワクワクで、あらゆる性の人たちがWAGAMAMAに生きる世界を目指しています。人とちがう部分をこれが自分だと誇りに感じたり、自分の中に湧き出る感情を誰にも邪魔させないこと。わたしたちは、そんな ”我がまま = WAGAMAMA” に生きる人たちのためのアンダーウェアブランド。


我こそはWAGAMAMAであると、そして、もっとWAGAMAMAに生きていきたいんだとのぞむ人たちへ。わたしたちと一緒に、だれもがWAGAMAMAであれる世界を、つくりませんか。

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